考えさせられるエントリ。
「
天才機関説と未踏の次」
「
未踏の次にすべきこと」
以下、僕なりに。
未踏プロジェクトが不完全燃焼だったとするならば、
それは国がお金を出しただけでは解決できることではなかったと思う。
多くの企業と投資家の心からの協力と、互いに深く入り込み支えあうモチベーションがなければそれは厳しい。
協力を得られたとしても向き合う方向性が違うと利害が一致しないということもあるだろう。
故に民間に背負わせる責任というのも必要だったのではないだろうか。
天才とは何か。才能とは何か。
それは"個"に通ずるものであり、その質を示すモノ。
なぜ、三国の時代に曹操猛徳が"徳"を無視し"才"のみを求めたか。
"徳"を重んじる儒学的な思考が世の理となっているにもかかわらず、だ。
それは真っ先に"国"という巨大な生物に対して、危機意識を持った"人"の一つの解。
その結果、学問の祖を気づき、医学を発展させ、中国の歴史にぶ厚い重みを持たせた。
日本では吉田松陰が草の根的にやった活動が、日本の未来を変える原動力となった。
そこにあったのは何だ?
そこにあったのはまぎれもない"人"の力だった。
だからこそ"国"を変えるのは"国"ではなく、"人"の手によって"才"を生むことが必要なのではないか。
では、その"才"を生むための"人"にあたるモノとは誰か。
現代で言えば、経営者や投資家といった存在が一番近いと思う。
多くの"金"を動かしているほどその力は強いし、世の中に対しての発言力も持つ。
それ故、自身や企業が持つ余剰を何のために使うか、そいつが重要だと考える。
他社間競争に打ち勝つ事も経営者として社員を食わしていく身には大切だろうが・・・
キャッシュフローだけ見るのではなく、次代に繋がる"才"をどれだけ拾い上げることができたか。
そいつも大切にして欲しい。
上場してキャッシュを集めることは、さらなる企業の成長のためだというなら、
次代を生き抜く組織となるために、"才"を集め育てる事も重要となってくる。
"国"のあり方を決めるものは、そこに生きる"人"が余剰をどう生かすか。
それが僕たちの明日を、また次代を生きる子孫たちの生き方を決めるものになると、
僕はそう思う。
才能のある人間が世を忍び隠遁として生きる道を選んだり、
死んでから評価されることはあまりにも悲しすぎる。
ベンチャーというものは本来そういう人たちのためにあったんじゃないかなぁ。
そう思ったりもするわけです。
※ 利益しか追わないベンチャーを名乗る企業は既にソレでは無い。
だからこそ、純粋に良いと感じたものは声を大にして広めたいし、
そこに可能性を感じるならば、僕にできる最大限の協力を惜しまない。
一緒になって考えて、さらにいろんな人を巻き込んで楽しくしていければと思う。
少ないながらも僕の余剰というものはそういうために使って行きたい。
綺麗ごとは所詮戯言でしかないけれど、
それを最後まで示して貫き通せれば何かが変わる期待を胸に。